「ジェンダーフリー」教育現場から全廃 東京都、男女混合名簿も禁止
 ……うむ。まぁ禁止までする必要はないけれど、基本的に賛成だわな。
 例えばこの記事に挙げられている「男女混合名簿」なんてものがあるけれど、実用的な面からいえば不便この上ないらしい(教育に携わる家族の意見)。ただでさえユニセックスな名前が多く、女の子みたいな顔つきをした男の子も珍しくないのに、男女をいっしょに並べられたのでは混乱するとか。オレにもバイト先でそういう経験がある。「つかさ」とか「ひろみ」、「みゆき」という名前の子は男女両方にいるし。

 まぁまだそこまではいい。ただ許せないのは、フェミニスト集団の中には、『男女混合名簿』ではダメだ。『女男混合名簿』にしろ!」という輩が居るという話をちらほらと聞く。
 ……あの〜。それって単に男が女の前に付いてるから許せないだけなんでしょうか?ならその思想は同時に「男性差別」につながって、ジェンダーフリーとはかけ離れた状態になると思うんですが。

 ……こういう過剰な例はおいておいて、ジェンダーフリーについて少し考えてみよう。

 ジェンダーとは社会的・生活的に形成された性別のことを指し、それによって生じる「男らしさ・女らしさ」を取り除くのがジェンダーフリーであると社会一般に理解されている。
 そのような思想を主張する方々をフェミニスト――大学の女性教授なんてほとんどがそうだ――と言うが、その思想っていうのは、まぁ中には頷けるものもないことはないが、首をひねりたくなるようなものが多い。
 例えば給与や昇進などで男性と同じ待遇を要求しておきながら、それに伴って発生する義務や責任についてもしっかりと言及するフェミニストがどれだけ居るというのか。男性と同じ待遇を望むのなら、転勤や残業も男性社員並みにこなすべきだし、生理休暇を利用して旅行に行くようなOLに対して、表だって非難するフェミニストを未だかつて見たことはない。
 言うまでもなく、これらは「ジェンダーフリー」ではない。単なる「女性優遇」である。
 虫の良すぎる話だ。


 また、ジェンダーと対をなすものとして、生物学的な性を表すセックスがある。
 両者が必ずしも無関係ではない以上――一例として、性同一性障害――、社会的な性の否定は、同時に性別の否定につながりかねない。同性愛を全面否定するつもりはないが、このような思想は、恋愛や結婚、そして出産といった社会秩序自体を揺るがしてしまいかねない。
 それ故、行きすぎたジェンダーフリー教育は、今以上になよなよした男と、街角でべたっと座り込むだらしのないコギャルを作り出す危険性がある。
 もっともフェミの理屈からすれば、そういった男やコギャルは、従来の「男はたくましく、女はおしとやかに」というジェンダーを打ち破った素晴らしい人間、ということになるが……これがよい風潮か悪い風潮か、誰の目にも明らかであろう。



 あ、誤解されぬように、私のジェンダーに関する基本的な考えを書いておくと、不合理な就職などの差別は消えて然るべきだが、それが「男と女」を一様に否定するものならば、それは社会的に見て悪にしかなりえない、というものだ。
 それ故今回の東京都の方針の中で、ジェンダーフリーはあくまで多様な考え方の一つとして教える旨の方針が出されたことは(まぁ今までも当然に行われてきたものであると信じたいが、日教組の性格からして極めて疑わしい)、正しい方向に向かっていると思う。